昭和初期の久礼・魚市場の様子
中土佐町史料「久礼読本」復刻版(平成22年3月 中土佐町教育委員会発行)より抜粋
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日曜日の午後、市場の事務所に行ってみた。丁度仕事は暇らしいので理事さんに、
「今日は市場のことについてお伺いしたいのですが。」と頼むと、
「ああそうですか、まあお掛けなさい。」と理事さんは愛想よく椅子をすすめて、静かな口調で話し出した。
「漁業組合の出来たのは、明治35年ですが、それ以前は魚問屋といって個人の経営でした。組合は出来たと言いましても、当時は請負制度のようなもので、どうもうまくいかなかったのです。しかし年を経るごとに段々発達して、去年はこのように市場を拡張し、その上設備も色々改良して、現在に至ったのです。組合員199名、漁船128艘、そのうち発動船18艘、漁獲高年13〜14万円、このようになっています。昔は大野見、仁井田、窪川方面がはけ口でしたが、今はこれ等は言うまでもなく、高知、中村から遠く阪神地方にまで売りさばいています。中でも伊勢海老は最も珍しがられ、布海苔も昨年から九州の方に出ています。ああ、もうおっつけ市が始まる頃です。あちらに行ってみましょう。」
理事さんはちょっと時計を見上げて先に立った。
塵一つないまでに洗い流された市場のセメントの上には、大小種々の魚が種類別に、鉢巻きをしたおじさんや裾をはしょったおばさん達の手によって並べられている。すぐ向こうには、鰹が30〜40、銀色のはち切れそうな腹を見せている。その隣には、タコがのよのよとからだを動かして愛嬌を振りまいている。カレイ、鯖、イトヨリ、ホウボウなどが向こうの方へ整然と並べられた。その間に2m近い大クマビキが円味をおびた頭を揃えて横たわっている所は如何にも間が抜けている。
「この外に、鰤、鰯、太刀魚、鰺、メジカ、イカ、カニ等がとれますよ。やはり魚には旬がありましてね、今は鰹がころですよ。」理事さんは言われる。
隅に置いてあった四斗樽が倒された。海水と一緒に縞蛇のようなウツボがどっと飛び出る。胴回りが20cmあまりもあるもの凄いのが咬み合ったり、跳ね上がったりしている。漁師が笑いながら手鈎を力一杯その頭の上に打ち込む。なかなか参らない。それでも7回8回と繰り返す中にやっと大人しくなった。間もなく競り市が始まった。競り人を中にして十数人の魚商人が先ずウツボの周囲に集まる。競り人がウツボを見下ろしながら、
「この太いがが、二つでなんぼじゃ。」と叫ぶと
「五十銭。」誰かが喧嘩のように怒鳴り返した。
「五十銭じゃ、五十銭。ないか、ないか。」競り人は再び叫んだ。
「五十五銭。」
「六十銭。」
「六十五銭。」
あちらこちらから魚商人の鋭い声が飛んで値がぐんぐんと上がっていく。
「七十銭、ないか、七十銭、七十銭じゃ。」
「七十二銭。」
「七十五。」
鉢巻きをしたおじさんが、体をねじながら叩きつけるように言う。
「七十五、七十五銭、七十五銭、ないか七十五銭・・・よし七十五銭。」
とうとう鉢巻きのおじさんに落ちた。続いて次の取引に移る。緊張した競り人、魚商人の声がひとしきり広い建物にガンガンと響く。商人の手に落ちた魚は、次々に箱やザルに入れられて運ばれていく。やがて市場は元の静けさに戻った。
「今年は、あまり鰹が獲れないようですが。」理事さんは、箱に入れられる鰹の方を見て言った。
「あの鰹釣りは、なかなか勇ましいですよ。僅か十トンばかりの小さな船に、20人から40人ほど乗り組んで五十里の沖まで行きますからね。鰯のかぶせを追ってきた鰹の大群が真っ黒い程海をうずめて、餌を差し替える暇も無いくらい掛かってくる時の痛快さは、何とも言えませんね。伊勢海老は、建網を磯に張っておくと、人のいない静かな夜、運動に出てきて、その網の中に入り込んでいるのです。漁師が朝早く行って捕らえますが、中には1匹五百匁もあるようなこんな太い奴がいますよ。」両方の人差し指を立てて50cmほど拡げる。
「近頃ここの市場も大分盛んになりましたが、須崎や宇佐に較べるとまだまだというところです。後ろに山を控えた私達は、どうしても大いに海へ乗り出して活躍せねばなりませぬ。漁獲物を増したり、加工法を工夫したり、販路を拡張したり、私達に残された仕事は山程あります。私は久礼の水産界の将来を考えると、じっとしていられなくなります。」こう言いながら、港に隙間もなく舫(もや)いした漁船をじっと見つめていた理事さんの顔には、一瞬固い決心の色が浮かんだ。